Historia De Las Enfermedades Epidemiologicas En Japón
その2
1970年までの脳卒中、高血圧症の疫学
Short History of Epidemiology for Noninfectious Diseases in Japan. Part 2:
Epidemiology of Stroke and Hypertension up to 1970
青木國雄(名古屋大学名誉教授、愛知県がんセンター名誉総長)
本原稿は Kunio Aoki. Short History of Epidemiology for Noninfectious Diseases in Japan. Part 2: Epidemiology of Stroke and Hypertension up to 1970. J Epidemiol 2008; 18: 2-18.のもととなった日本語原稿を、著者の青木國雄先生の許可を得て、日本疫学会のサイト上で公開するものです。個 人的な使用など著作権法等で認められた使用を除いて、使用の際にはすべて青木先生と日本疫学会の許可が必要です。なお、この日本語論文を用いて英 文翻訳を作成しましたが、翻訳後に直接青木先生が修正を加えられた部分もありますので、英文と一部異なる部分があります。
Journal of Epidemiology 編集委員会
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わが国では 1930 年代にはすでに脳卒中死亡率は人口 10 万対 170 と 高く、結核に次いで死因の第2位であったが、相澤によれば内科学会で は研究発表はまばらで、関連する日本循環器学会、脳・神経学会臨床医 学者でも時折脳循環のセクションで話題をにぎわす程度で、関心は高く なかったという1) 。当時は平均寿命が 40 年を少し越す程度で、若年・青壮年の死亡頻度が高かったこと、中高年者の医療受診率は低く、病は 多く重症で発見され、効果的な治療に乏しかったことなども背景にあっ たと思われる。1930 年代では脳卒中死亡頻度を問題にする医学者は少 なく、渡辺定が指摘するまでその重要性に気づかなかったようであると 佐々木は述べている
2,3)
中や血圧関連研究がつづけられ、特に 1930 年代に入り研究発表が増加 している。その中でまず 1938 年の黒澤
6)
の総括的解析論文を紹介した
い。彼は各社の 1912 ~ 1931 年の 20 年間の保険加入者、129 万 3,755 名を集計し、その中の脳卒中死亡者 1,445 例を統計的に検討し、死亡者 の生活環境要因、体質との関連について分析している。この時期の脳卒 中死亡者は総死亡数の約 10 %であり、保険加入者の脳卒中死亡はこの 20 年間男女とも増加の傾向にあった。脳卒中死亡者を年齢別にみると、 40 歳代から増加し始め、加齢と共に急増、頻度は都市に高く農村で低 かった。職業別では、46~ 55 歳の年齢層では、家内工業、自由業者が 高率で、農業関係者は低率であった。脳卒中発作については、36 ~ 70 歳の死亡者では、発作は排便中、労作中、対談中、食事・入浴時、飲酒 時に多く、女子は入浴中が多かった。朝と夕刻に発作は多く、また冬に 多く、夏に少なかった。脳卒中死亡は家族集積性を認め、体型としては 身長が低く、腹囲、体重が大きい者が多いことから、比較的栄養、体格 が良い者に脳卒中のリスクが高いといっている。 生命保険加入者の血圧〈正常血圧並びに分布範囲〉についてはすで にすぐれた発表
7)
。
戦時体制に入って厚生省が新設され、医療保険制度も広大され、企 業での検診も始まると、当然のことながら脳卒中の受診者もふえ、その 重要性も認識され始めた。生命保険協会は以前から脳卒中の研究を進め ていたが、こういう事態を重く見て、日本学術振興会へ3年間で3万円の研究費を拠出し、委嘱調査を提議した。これが認められ 1941 年4月、 日本学術振興会脳卒中予防研究第 43 小委員会が組織され、委員 12 名 が決まり、委員長に西野忠次郎教授が選ばれた。委員名は一色嗣武、伊 藤中二、勝沼清蔵、木村男也、古瀬安俊、佐々貫之、高田他家雄、西野 忠次郎、平光吾一、真下俊一、茂在照、渡辺定である。この研究会では、 大学側と保険会社側、それぞれの立場で審議を重ねることとなったとあ る。そして、統計的、臨床的、病理組織学的研究成果の討議、文献の収 集、特に血圧と脳卒中との関係を重視し、脳卒中発生の諸要因、遺伝、 体質、環境、脳卒中の予防、脳卒中死亡率低下方策などの課題が挙げら れていた
4,5)
があったが、1939 年、一色嗣武ら
8)
は生命保険医の
研究を総括し、血圧利用の歴史、測定、観察された血圧分布の性・年齢別特性、体格、職業、遺伝、人種との関連、血圧と予後、死亡率、さら に米国との比較を記述している。血圧の統計的観察としては、日本では 1920 年代より加入時血圧検診が実施され、健康状態の一判定法として いた。1939 年、3保険会社が合同で、血圧などの理由で保険加入を謝 絶された 30 歳以上 1,301 人を追跡調査し、収縮期血圧 160mmHg 以上 は若年でも脳卒中リスクが正常者に比べ2倍以上高いと報告し、その上 で、血圧の正常範囲について論じ、血圧値の安全な範囲として収縮期血 圧が 159mmHg なら標準体としてはいかがかといっている。同年彼は 「卒中の統計的観察」9)として、生命保険加入者で 1939 から 1943 年 までの脳卒中死亡者 4,759 例について、発作時及び発作後の臨床病態と、 加入時や発病時などの血圧と脳卒中発作の関連を検討している。脳卒中 発 作 は 258 名 に 見 ら れ 、 発 作 6 ヶ 月 以 内 の 血 圧 の 平 均 値 は 、 男191.76mmHg、女 190.43mmHg と相当に高く、149mmHg 以下の者は 男 7.5 %、女 4.1 %であった。同時に、血圧値と予後の密接な関係を論 じている。すでに 1937 年に渡辺定は、肥満体の死亡率を検討し 10)、正 常よりも 30 ~ 49 %肥満がある加入者 834 例を平均約9年追跡し、肥 満者は腎臓炎、脳卒中、血行疾患死亡率が高く、特に 45 歳以上では、 脳卒中心疾患死亡のリスクが急増しているといっている。ただし米国と 比べればそのリスク低かった。一方、当時日本で高率であった結核死亡 は肥満群ではきわめて少ないことを指摘している。彼は 5 年毎にこう した調査が必要としている。 1940 年に渡辺定は我国の脳卒中頻度は数量的に把握する必要がある として、欧米各国と日本の死亡統計を比較し、日本は確かに他国より脳 卒中死亡が高いこと、国内では東北地方、特に秋田県の死亡率が高いこと、また飲酒習慣など発生要因についても論じている。 2) このほかに も多くの発表があるが、長期間観察された研究が多いのは注目すべきで ある。 なお、血圧計は 1905 年にコルトコフによる間接的測定法が発表さ れて間もなく、わが国にも導入され、臨床面では少なくとも 1910 年代 よりかなり使用されていたようである。日本でも生命保険会社では 1920 年代から血圧値の統計的分析を始め、1930 年代には性・年齢別の 日本人の血圧の分布という基礎的なデータをもっていた。 生命保険統計は自発的な申込者、あるいは加入者という偏りはある にしても、何万人という多数例の観察がなされており、その性・年齢別 頻度分布は日本の住民の実態をかなりに反映し、また地域比較にも十分 参考になるものと考えている。したがって脳卒中が原因は不明であった 時代には、上記の頻度分布や血圧との関係、成因に関する基本的な成績はわが国の一般住民にも十分に活用できるものであった。しかし医科大 学の指導者が主催する医学会では、これらの成果を紹介し評価した記録 は誠に乏しいように思われる。
。わが国の脳卒中のアカデミックな研究は少し変則的な形
で始まったようである。 この時代は疫学という用語は非感染性慢性疾患ではほとんど使われ ていなかった。循環器疾患では、後述するように 1952 年に佐々木直亮 が「Apoplexy(脳卒中)の疫学」という論文を出しており、1958 年の第 29 回日本衛生学会では高血圧の疫学というシンポジウムがあった。 1959 年の第 16 回日本医学会総会シンポジウム 高血圧症[司会中沢 房吉]では、木村登と板原克哉が高血圧症の疫学的研究と題して講演し ている。戦後、米国留学から帰った研究者が使い始めたようである。文 部省の研究費を受けた沖中重雄研究班は 1962 年にスタートしたが、その研究発表は「脳卒中の疫学的研究」となっている。1966 年の広島で の ABCC シンポジウムの主題は、 「冠動脈疾患及び脳卒中の疫学」であ り、疫学という用語は 1960 年代にわが国の医学会で定着したようであ る。したがってこの脳卒中と高血圧症についての疫学的研究の歴史的展 望も、1960 年頃までは、衛生、公衆衛生学的研究、統計的研究、地 域・地理的研究、集団調査、成因的研究などの題名でいわゆる疫学的研 究がなされていた。循環器疾患研究は 1970 年以降大きく前進するので、 ここでは 1970 年頃までの研究を総括しようと試みた。しかし 1940...
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